NO COFFEE. NO CREATION. 流浪の俳人、山頭火と旅を共にしたコーヒー

 

コーヒーは心の昂揚を促す作用と沈静を促す作用の2つの成分を持つと言われています。 そんな相反するコーヒーの力に助けられ、時に巧みに利用しながら 人は様々な素晴らしいアートや文学を創り出してきました。 「コーヒーがなければ、こんなアートは生まれなかったに違いない。」 コーヒーを愛しカフェテリアを愛したアーティストたちのお話です。 【流浪の俳人、山頭火と旅を共にしたコーヒー】 「あさせみすみ通るコーヒーをひとり」 そんな言葉の記された石碑が、山口県防府市の街角にあるのをご存じでしょうか? この句を詠んだのは言わずと知れた防府市出身の俳人、種田山頭火です。 彼が残した句の中でコーヒーが詠まれているのはこの一句のみ。 『種田山頭火と防府市のまちづくり(堀江新子、やまぐち地域社会研究/山口地域社会学会編)』によると、「当時としては貴重なコーヒーをもらった山頭火が、さわやかな早朝のコーヒーの味を朝蝉のすきとおるような鳴き声に託して作った」即興の句だそうです。 大正から昭和初期にかけ、日本各地を旅した山頭火は、無季無定形の自由律俳句を数多く残しました。 法衣と袈裟に身を包み、笠を被った姿は印象的で、一見するとコーヒーと関わりがあるようには思えないかもしれません。 しかし彼の日記を読み進めると、度々コーヒーを好んで飲んでいたことがうかがえます。

 

山頭火は日々の出来事や考え事を生涯日記に残し続けた人でした。 そのうち1920年代以前のものは自らの手で処分してしまったようですが、1930年10月の日記からすでにコーヒーを購入していた様子が記されており、以前からコーヒー好きであったことが想像できます。 日記にコーヒーの出現する頻度はその後晩年にかけて増えていき、例えば 1938年のある日には「朝はコーヒーだけ、昼は御飯、晩はまたコーヒー」といった日もあるほどです。 中でも注目したいのが1937年6月7日の日記です。 ​​​​​​​この日、山頭火は次のようなことを記しています。 「時代は移る、人間は動きつゞけてゐる、句に時代の匂ひ、色、響があらば、それはその時代の句ではない」。 そしてこう続けます。 「都会人にビルデイングがあるやうに田園人には藁塚がある、しかし、煎茶よりもコーヒーに心をひかれるのが、近代的人情であらう」。

 

この日の日記を読むと様々なことが見えてきます。 山頭火にとってコーヒーはただの飲み物ではなく、新しい時代の一端であったこと。 変化を拒まず、今日あるものを常に見つめ続けてきたこと。 そうした姿勢が句作とも共鳴していたこと……。 酒豪で知られた山頭火は晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と書き残しています。 けれども今日、注意深く鑑賞してみれば、中にはコーヒーが注がれた、目の醒めるような一句が見つかるかもしれません。

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