NO COFFEE. NO CREATION. 永井荷風の「理想のカフェ探し」

永井荷風の「理想のカフェ探し」

コーヒーは心の昂揚を促す作用と沈静を促す作用の2つの成分を持つと言われています。 そんな相反するコーヒーの力に助けられ、時に巧みに利用しながら 人は様々な素晴らしいアートや文学を創り出してきました。 「コーヒーがなければ、こんなアートは生まれなかったに違いない。」 コーヒーを愛しカフェテリアを愛したアーティストたちのお話です。 【理想のカフェを探し続けた永井荷風】 「おいしいコーヒーは理想の空間で理想の仲間と飲みたい」。 コーヒー好きなら誰もが抱くそんな思いは、今も昔も変わらなかったようです。 今回は明治から昭和にかけて活躍した文豪、永井荷風の「理想のカフェ探し」をご紹介します。 時は明治末期、急速な近代化に後押しされ、日本でも本格的なカフェ文化が花開きました。 1911年、日本で初めて「カフェー」を名乗った「プランタン」の開業を皮切りに、「ライオン」「パウリスタ」といった名店が次々とオープンし、文化人たちはこぞってカフェ通いを始めます。 永井荷風もそうした文化人の一人で、彼の代表作でもある日記『断腸亭日乗』には、カフェ通いの記録が詳細に残されています。 『断腸亭日乗』を読み解くと、荷風は1919年にはじめてプランタンを訪れて以降、時々銀座へと足を運び、同時代の作家や画家たちと親睦を深めていたようです。 しかしそうした習慣も長くは続きませんでした。 ある時、酔った文士に喧嘩を売られる事件があり、それを機に荷風は銀座のカフェ通いをぱたりと止めてしまいます。 実は当時、プランタンの常連客は、お酒を飲む「燗酔派」と静かにコーヒーを嗜む「静観派」とに分かれており、「静観派」であった荷風らは徐々に居場所を無くしていったようなのです。

 

そんな永井荷風ですが、カフェ通いを諦めたわけではありませんでした。 事件から10年以上が経った1933年以降、彼は「きゅうぺる」という喫茶店へと通うようになります。 この頃の荷風は気の合う仲間との交流を求めていたようで、「門口をのぞき見たれど、いつもの諸子在らざるを以て直に家に帰る(店内を覗いてみたけれど知り合いがいないから帰った)」といった記述まで見られます。 多い時には月に10回以上も通い、ついに理想のカフェを見つけたかに思えた荷風でしたが、酔っ払いが増えるにしたがって足は遠のき、1936年「水兵一人泥酔するを見たれば、直に立去り~」という記述を最後に通うのをやめてしまいます。 荷風の日記を読み解いていると、お気に入りのカフェスペースがいかに尊いものであるかを思い知らされます。 なかなか理想郷に巡り合えなかった荷風ですが、カフェ好きは筋金入り。 当時の暮らしぶりが垣間見える『断腸亭日乗』の他、カフェの女給を主人公にした『つゆのあとさき』も名作です。

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