NO COFFEE. NO CREATION. マイルス・デイヴィスの「キリマンジャロ」
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コーヒーは心の昂揚を促す作用と沈静を促す作用の2つの成分を持つと言われています。 そんな相反するコーヒーの力に助けられ、時に巧みに利用しながら 人は様々な素晴らしいアートや文学を創り出してきました。 「コーヒーがなければ、こんなアートは生まれなかったに違いない。」 コーヒーを愛しカフェテリアを愛したアーティストたちのお話です。
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JAZZとコーヒー、と言えば、詳しくなくても何となく近しいような気がしてしまうのは,「ジャズ喫茶」文化の盛んだった日本だからでしょうか。 実際にコーヒーを愛飲していたジャズメンも多く、コーヒーにまつわるスタンダード曲も存在しますが…その中でも今回はちょっと意外な接点を持つ、マイルス・デイヴィスのアルバムについてのお話です。 マイルスと言えば言わずと知れた名トランペッターですが、彼の陰にはいつも、一人の友人の支えがありました。名前はバディ・ジスト。以外なことに、ミュージシャンではありません。 ジストは1925年生まれ、ノースカロライナ州のグリーンズボロ出身で、1949年にニューヨークへ移った後は自動車販売などで成功した実業家でした。社交的で顔が広く、ジャズ界隈にも多くの友人を持っていましたが、中でもマイルスとは転居直後の49年、ニューヨークの名門ジャズクラブ、バードランドでの出会いをきっかけに、生涯にわたる友情を築きます。 そんなジストが手がけたのが、コーヒー事業でした。彼は(資料によって会社名やコーヒーの産地について細かな記述には違いがありますが)、「Mt.Kilimanjaro Coffee Company」「Mt. Kenya Coffee Company」といった会社を立ち上げ、アフリカ産コーヒーの輸入に乗り出します。そして、こうした会社の後継として生まれた「African Blend Gourmet Coffee Company」には、マイルス本人が出資をしていた記録が残っているのです。 二人の友情は、単なる社交やビジネスを超えたところにあったと思われます。ジストの両親はジム・クロウ法時代に黒人客を受け入れ、「グリーンブック」にも記載された記念碑的宿泊施設「マグノリア・ハウス」の経営者でした。 音楽シーン以外ではメジャーリーガーのジャッキー・ロビンソンや政治運動家マルコムXらとも交流するなど、彼は当時のアフリカ系アメリカ人社会を、陰でつなぎ支える存在でもありました。 私生活においても、マイルスのツアー巡業中、ジストが子どもの面倒を見たり、定期的にマイルスのトランペットのメンテナンスをしたりと、深いつながりを思わせるエピソードが残っています。
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ジストによってUNCG(ノースカロライナ州グリーンボロ大学)に寄贈されたマイルス・デイビスのトランペット そして1968年。マイルスは録音した新しいアルバムに『Filles de Kilimanjaro』と名付けます。 『キリマンジャロの娘』と邦題されるこのアルバム名は、ジストのコーヒー会社「Kilimanjaro African Coffee」に由来すると言われています。 マイルスは後の代表作のひとつに、友人が始めたコーヒー事業の名前を吹き込んだわけです。 一杯のコーヒーに着想を得た作品は数あれど、ひとつのコーヒー事業を丸々タイトルにした作品は、この一枚をのぞいてちょっと思いつきません。 『Filles de Kilimanjaro』は、マイルスにとっても変革期の作品でした。 1968年の録音は、ハービー・ハンコック、ロン・カーターら2ndクインテットから、チック・コリアやデイヴ・ホランドらへとメンバーが変わり、アコースティック・ジャズから後のエレクトリック期へと向かう、その境目に位置するアルバムです。 自身のスタイルを模索していたマイルスは、ジストのコーヒー事業や遠く海を越えたアフリカに何かを見つけたのかもしれません。
NO COFFEE. NO CREATION.
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